亮太の進むべき道

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「音を楽しむと書いて、音楽だ」



昔、知り合いのドラマーが
言った言葉だ。


極論言って、亮太が
レミオロメンを捨てた理由は


「やってて楽しくなくなったから。
やりたい様に出来なくなったから。」


だろう。



「自分の人生は自分の物。
自分の、やりたい様にやりたい。


自分の、納得の行く様に
生きて行きたい。」



その為に、ソロ転向したのだ。
稀代のメロディーメーカー:亮太。


小林社長も、それを知ってて
烏龍舎に呼んだハズだった。


それを、亮太を
信じれば良い物を


「ああしろ、こうしろ」


と、コネくり過ぎて
実際リリースになる頃には 



”亮太・オリジナル”



と、全然違う物に
なってしまった。


曲の進行やら、大げさな
ストリングス・アレンジやら。


Cメロに、全然違うキーの
歌メロをブッ込んでみたり。



小林社長は


”ミスチルでの成功体験”


を、捨てられ
なかったのだろう。


以前も書いたが、 曲は



「一番最初に浮かんだ状態が、一番良い」



その一番良い状態を
ああだ、こうだと


外野が手を加え過ぎた。
手を加えずに残ってた曲が


”月食”という事。



今の彼の廻りに
必要な人とは


「亮太のやりたい事を信じて
邪魔せずに、手助けする人」



アルバム:オオカミ青年での
田中義人(ギター)は


正にそういう人だった。



彼は烏龍舎の人ではない”部外者”で
完全なるサポメン、という立場を


わきまえてたのだろう。



このアルバムの30%位は
彼の貢献と思われる。



風のクロマ以降の失速に
クドイ様だが、亮太が


本来の作風を
捨ててしまった事が


かなり大きい。



・夢の蕾
・夢で会えたら



はPIANOで弾くには良い曲だが
J-POP過ぎて亮太本来の


カラーの曲ではない。
亮太本人が


「これは俺がやらなくても
他の誰かが、やれば良い曲じゃないか?」


という事を、ソロになった直後
”最後の辺のレミオ”を振り返って


語ってたが、 これは


「自分本来の得意の
パターンがある訳で


J-POPの御約束作風を、わざわざ
自分が取り入れる必要は無い。」


という事言ってるのだと思う。
コード進行論になってしまうが


①Bm7(-5) → E

②Am → Am(on G#) → Am(on G) → Am(on F#)

③E → EM7 → E7 → F#m


の様な、J-POP
王道的パターンを


わざわざ亮太がやる必要は
無い、という事だ。


(SAKURA、夢で会えたら
もっと遠くへ、は、このパターン)


これは


「誰か、他の人がやれば良い」


パターンであり
亮太には亮太しか持っていない


「らしさ」


がある。


それを大事に、最大限に発揮して
ヒットを狙えば良い。



・粉雪
・3月9日



が、そうだった様に。



「亮太しか作れない音楽」



これを追求する事こそ
彼のやるべき事


本当に生き残る
道だと思う。

by vanhalenaerosmith | 2014-04-16 07:40 | 藤巻亮太 | Comments(0)

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