亮太の進むべき道
2014年 04月 16日
昔、知り合いのドラマーが
言った言葉だ。
極論言って、亮太が
レミオロメンを捨てた理由は
「やってて楽しくなくなったから。
やりたい様に出来なくなったから。」
だろう。
「自分の人生は自分の物。
自分の、やりたい様にやりたい。
自分の、納得の行く様に
生きて行きたい。」
その為に、ソロ転向したのだ。
稀代のメロディーメーカー:亮太。
小林社長も、それを知ってて
烏龍舎に呼んだハズだった。
それを、亮太を
「ああしろ、こうしろ」
と、コネくり過ぎて
実際リリースになる頃には
”亮太・オリジナル”
と、全然違う物に
曲の進行やら、大げさな
ストリングス・アレンジやら。
Cメロに、全然違うキーの
歌メロをブッ込んでみたり。
小林社長は
”ミスチルでの成功体験”
を、捨てられ
以前も書いたが、 曲は
「一番最初に浮かんだ状態が、一番良い」
その一番良い状態を
ああだ、こうだと
外野が手を加え過ぎた。
手を加えずに残ってた曲が
”月食”という事。
今の彼の廻りに
「亮太のやりたい事を信じて
邪魔せずに、手助けする人」
アルバム:オオカミ青年での
田中義人(ギター)は
彼は烏龍舎の人ではない”部外者”で
完全なるサポメン、という立場を
わきまえてたのだろう。
このアルバムの30%位は
彼の貢献と思われる。
クドイ様だが、亮太が
本来の作風を
・夢の蕾
・夢で会えたら
はPIANOで弾くには良い曲だが
J-POP過ぎて亮太本来の
「これは俺がやらなくても
他の誰かが、やれば良い曲じゃないか?」
という事を、ソロになった直後
”最後の辺のレミオ”を振り返って
語ってたが、 これは
「自分本来の得意の
パターンがある訳で
J-POPの御約束作風を、わざわざ
自分が取り入れる必要は無い。」
という事言ってるのだと思う。
コード進行論になってしまうが
①Bm7(-5) → E
②Am → Am(on G#) → Am(on G) → Am(on F#)
③E → EM7 → E7 → F#m
の様な、J-POP
王道的パターンを
わざわざ亮太がやる必要は
無い、という事だ。
(SAKURA、夢で会えたら
これは
「誰か、他の人がやれば良い」
パターンであり
亮太には亮太しか持っていない
「らしさ」
がある。
それを大事に、最大限に発揮して
ヒットを狙えば良い。
・粉雪
これを追求する事こそ
本当に生き残る